【受け入れること】から始まる

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〈オランダへようこそ〉
有料動画配信サービスで、数年前に放送されたドラマを見ていると、放送当時には特に響かなかったあるシーンに心を揺さぶられました。
それは「オランダへようこそ」という詩の朗読シーンです。
エミリー・パール・キングズレイ作で「私はよく『障がいのある子を育てるのってどんな感じ?』と、聞かれることがあります。」という書き出しで始まるものです。
私には子どもはいませんし、障がいのある方と深く関わったこともありません。
そんな私がなぜこの詩に心動かされたのか。
書き出しに「障がい」というワードがあるために、この詩は障がいに関する詩だと、作者を含め認識されているかと思います。
しかし、この詩は今の私たちのことなんじゃないか。
そう強く感じました。
〈私のイタリア〉
こんなはずじゃなかった。
私は未だにそう思うことがあります。
昨年の春以降、私たちの生活は一変しました。
予定していたカナダへの留学。
勉強・就活から解放されて、友だちと飲み歩いて夜遊び。
社会人になって新しい人とたくさん出会って交流して、先輩に飲みに連れて行ってもらう。
どれも叶っていません(意地で、叶いませんでした。とは書けなかった…)。
そう、これは詩で言う「イタリア」だ!
こう思わずにはいられませんでした。
そして、今の状況は「オランダ」だ!
〈失った夢〉
詩の終盤に、以下のようにあります。
「心の痛みは決して、決して消えることはありません。
だって、失った夢はあまりにも大きすぎるから。」
若くて体力もあって、学生時代より経済的余裕もあって、
親にあれこれ言われなくなって、やっと自由になれると思ったのに、こんなにも不自由な今。
もう少しすると、体力は衰えるし、好き勝手遊ぶには社会的責任が重くなる。
周りが結婚しだしたら私と遊んでくれるのかもわからない。
こんなことを思っては、ダメだダメだ、
言っても仕方ないことは言うだけ無駄だ、と切り替えてきました。
しかし、「オランダへようこそ」を読んで、イタリアへ行きたかった、
という感情を否定する必要はないのだと気づきました。
障がいを持つ子どもの親が、子どもに障がいがなければ、
と思うことは、ともするとその子の存在を否定していると捉えられかねないと思います。
それでも作者は、「失った夢」と表現しました。
あ、いいんだ。
留学したかった。気兼ねなく飲み歩きたかった、旅行したかった。
思うだけ無駄なことです。
それでも、思っていいんだ。
そんな感情は無駄だ、と蓋をすることは、本当に前を向くということじゃないんだ。
湧き出る感情を、きちんと分解して、土に戻す。
そうして初めて「オランダにこそある愛しいものを、心から楽しむ」ことができるのでしょう。
Shion