テレビ係と筆箱のカケラ

十分大人になった今でも忘れられない心に眠っている出来事がいくつかある。
小学3年生の頃、授業で映像を見るときの”テレビをつける”係だった時の私のセリフ。
「静かにしてください。今からテレビをつけます!!」
・・・静まり返る教室の中、担任が笑いながら私に向かって言った言葉。
「○○(私)の声は鼻にかかった面白い声をしているね~」クラスメイトたちが一斉に私を見て笑った。
鼻にかかった声を笑われたことよりも、皆の前で笑いものにされたことにすごく傷ついた。
先生がなぜあの時に笑いながら言ったのか、ただ思ったことを感じたことを口にしただけなのか、
小学3年の私には全く理解できなかった。今となれば、先生は私も笑うと思ったのかなと想像することは出来る。
想像は出来るが共感は一ミリも出来ない。
テレビ係は先生を筆頭にクラスメイトから笑われ、嫌でしかたなかったが任期まできちんとやり遂げた。
そして平和な日々へ、、とはならなかった。
くじ運が悪い私。隣の席の男子がクラス1のヤンチャボーイで、よくからかってきた。
とある日、朝の会までの時間いつも通りからかってきた。
鼻をつまみながらテレビ係りだった時の私の言い方の真似をしてくる。いつもは止めてと返事をしていたが、あまりにもしつこいので
無視をすると筆箱で殴ろうとしてきた。殴る真似か本気で殴ろうとしたのか分からないが、私はそれを手で払いのけた。
筆箱は床に落ち角が欠けた。私は悪くないと言ったが、元に戻せの一点張り。そんなときに限って先生は不在。
テレビ係りの一件で先生に不信感を抱いていた私は結局自分から先生に相談することは無かった。
それから毎日先生が教室に来るまで、弁償しろといわれ続けた。先生が来ると言わなくなるので遂には
先生が来るまで非常階段で過ごした。自覚は無かったがその頃には母親が私の顔から笑顔がなくなっているのに気づき我慢していた涙が
たくさん零れ落ちわんわん泣いた。しかし先生がきっかけのテレビ係の嫌な出来事は言えず、ヤンチャボーイの筆箱の件だけ伝えた。
結果としては母親が間に入りヤンチャボーイから謝罪され許した形で終了した。
この気持ちをどのように乗り越えたのでしょうか。
今でもふとしたときに胸の奥底が締め付けられるような感覚になることがあるので乗り越えきっていないのかもしれません。
ただひとつ、
先生の一言で、今の私はあの頃よりも確実に”相手を思いやる”経験を積んできた。
先生の件やヤンチャボーイの出来事があって、自分の一言で相手の人生の中の喜怒哀楽を揺さぶってしまうことがあると気づいた。
私は愛を持って相手に寄り添い”喜と楽”の言葉をかけ続けたい。